大蔵山の歴史について



 大蔵山はかなり古くから石山として知られ、昭和の初期よりスコップ・ツルハシ・テコ等の人力による採石が本格化した。出荷は木ゾリで阿武隈川まで運び、そこから水運を利用したり、牛車等で陸路、直接届ける方法によってされたが,いずれも大変な労力を伴った。用途は、仙南各地の土木用材や石碑用材であった。昭和30年代になって重機が導入されると、飛躍的に採掘量が増え、出荷先も関東方面にまで広がった。最盛期には丁場が4〜5箇所開かれ、各業者が先を争うように採掘したが、経済が高度成長し産業構造が変化するに従い、人々は町場に進出した工場に働きにでるようになり、山で石職人として働く人は少なくなった。昭和60年前後より、彫刻用材としても注目され始め、作家たちが山に登るようになった。現在、採掘を続けているのは一社のみで、採掘跡地の修復を兼ねながらの採掘作業が行われている。